総選挙の結果、私たちはファシズムという扉の内側にはいってしまった。ジョージ・オーウエルが1949年に書いた悪夢の近未来小説「1984年」は、想定の20年後に日本で現実のものとなった。
オーウエル的な現象は選挙中からあった。投票の数日前、都内JR駅前を1万2千人が埋め、ホームまで鈴なりで首相を待つ光景をテレビが写していた。週日の昼間なのに勤め人らしい男女がひしめき、主婦、学生ふうの人々が熱狂的な拍手を送っていた。自民党からの動員だけではとうていあの数は集まるまい。「嬉々として独裁者を迎える」群衆の出現である。
自民に投票したという21歳コンビニ店員に、東京新聞(9月13日)が聞いている。
新聞もTVニュースも見ないという彼は、今回両親に誘われて「仕方なく」投票所へ行った。「亀井さんとか自民党の中の悪いのを…ズバッと切ったんでしょ。なんかクールっていうか格好いいじゃない」
自民の全国得票は比例で2千589万。前回比523万増である。増加は大都市に著しく、都市の無党派層のうち20代、30代の若者が投票所に向かったことが「地滑り」を生んだと分析されている。
都市青年層の中には、400万とも500万ともいわれるフリーターやニート(就職活動も就学もしていない層)がひしめいている。
「半径2メートル以外は無関心」と評され、従来は選挙に背を向けていたそうした人々が、人生で初めて「勝ち組」に参加しようと自民に投票したという見方がある。「ヨン様」やサッカーの「ニッポン」を連呼する情熱が、「コイズミ様」に向かって爆発したという意味合いもあるだろう。
この人たちは郵政民営化法案をよく知っていたのか。そうではあるまい。以前、郵便局の看板文字が変わったが、内容は同じで別に不便はない。今度も同じようなことだろうと思っているのかも知れない。
つまり、どうでもいいのだ。そしてどうでもことだからこそ、首相は「郵政」だけを争点にして、年金や雇用、増税、外交、少子化、教育、そして憲法の問題を隠した。国のありよう、国民の明日の生活の姿を描くことなどまったくなく…。
なぜ描かなかったのか。描けなかったのか。
改革を絶叫する小泉をヒトラーにたとえる人もいるが、ヒトラーは世界観や国家社会の未来像を提示して登場した。田中角栄は「列島改造論」を掲げた。小泉は当面のワンイシューしか語らない。
だがそれが500万の新保守層の胸を打ち、地滑りのきっかけを作った。つまり、彼らと小泉は同じ知的水準で共鳴し合い、共振現象を起こしたのである。小泉の知性の「低さ」に、知識人は無警戒だったのではないか。
むろん、今回の小泉圧勝の第一原因は小選挙区制のマジックである。ということは場合によっては野党が大勝することもあり得る。しかし、衆議院の解散は恐らく任期いっぱいまでないだろうから、次の国政選挙は2年後の参議院だ。この2年間に絶対多数の小泉独裁がなしうることはたくさんある。「比例復活」への批判を利用して、衆参両議院選の比例部分を大幅削減するなど、さらなる独裁体制の構築を目指す可能性がある。
憲法、民主主義を守ろうと志す私たちにいま足らないのは、政治家、マスコミを含めた日本人の知的環境が、こんな危険なレベルにまで劣悪化し、荒廃してしまっているという実態への、痛切な認識であろう。