かなり古い話だが…。
去る2月から3月にかけて、週刊新潮は「創刊50周年」のお祭り騒ぎを展開した。50年間の特記すべき記事が再録され、当時の編集者が思い出を語ったりしている。
私は創刊2年目から編集部に入り、21年間在籍したので私自身が執筆した記事やエピソードも多く、感慨深い部分もあった。
印象に残っている一つは、1972年、沖縄返還にからむ日米間の密約報道事件だ。
この件について、今回新潮社が出した『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』に当時の担当記者松田宏氏(現・常務)が書いている。「毎日新聞の西山太吉記者が、外務省の女性事務官から沖縄返還の日米密約に絡む極秘電文を“情を通じて”入手し、二人とも逮捕された外務省機密漏洩事件」「毎日は“知る権利”の大キャンペーンを展開したが、これに対して“週刊新潮”は“機密漏洩事件―美しい日本の美しくない日本人”という新聞批判の大特集を書いた」
“美しい日本の…”という週刊誌にはあまり類似例のないタイトルは、その3年前に川端康成氏が日本人として初のノーベル文学賞を受け、その受賞スピーチの題が「美しい日本の私」であったことからの“いただき”だ。その川端氏は西山記者逮捕から数日後、マスコミ界が騒然とする中でガス自殺を遂げた。
川端文学の“美”の対極に、西山記者の行為や当時の新聞一般の反応を置いて“醜”としたのだから、これは相当の悪意の表現である。それより1年半ほど前の、三島由紀夫切腹事件の衝撃を想起させる効果もあったのだろう。
週刊新潮の新聞憎しのキャンペーンはその数年前から始まっていた。60年代末からの学生運動、ベトナム反戦、公害批判の市民運動、70年代にはいってからの沖縄返還、日中国交回復の運動などはすべて同誌にとっては疎ましく、それを「煽って」いるのが新聞なのだという短絡した論理である。
ともあれ、検察庁が作った「情を通じ」という、それこそ俗情に訴える殺し文句に百パーセント乗った週刊誌、女性週刊誌のキャンペーンはすさまじかった。中でも週刊新潮編集部の雰囲気は異様で、まるで憑かれたように来る日も来る日も西山記者と毎日新聞、そして新聞一般のアラを探す作業に駆り立てられた。
すると不思議なことに、一般読者から無数の激励の葉書や情報提供の電話が寄せられた。中でも驚いたのは、毎日の内部から、社の内情に関する通報が次から次へと届いたことである。毎日販売店からも「減紙」の情報が入った。一つの大新聞社が傾き、崩壊する有様が手に取るように分かったのである。
この経験で、週刊新潮は言論によるテロリズムの効果と、その商業的な骨法を会得したのだと思う。
しかし、密約事件については最近その見直しが一部メディアで始まり、この2月には北海道新聞が当時の外務省高官から決定的な証言を得た。
メディア全般が劣化する中で、問題の本質を正確に捉えるジャーナリストとその活動が生まれつつある。沖縄をめぐる政府と中央メディアの不当な扱いの根源は、この密約問題に凝縮されているのだが、週刊新潮の50年史は、そのことには触れていない。
(亀井淳、4月14日・記)